大切なことはすべて音楽とゲームとマンガから教わった

ひきこもり系三大趣味について心に浮かぶことを書き留める

私版ゲーム機大戦〜80年代編〜

「ゲーム機大戦」という動画が面白いよと教えてもらいました。

ファミコン前夜の1970年代から現在までの、家庭用ゲーム機の覇権争いを戦争形式で紹介しているもので確かに面白い!

ただ全部見ると5時間くらいかかるのでちょっと見きれず…。

じゃあ自分のこれまでに蓄積した知識と経験で書いてみようと思い立ちました。

「私版ゲーム機大戦」出動です!


ファミコン登場前の1970年代はゲーム機黎明期であり、乱立時代でもありましたが、ここはマイナーでテストにも出ないので省略!w


で、まずはファミコンですが、ファミコンがあそこまでの大ブームを巻き起こした要因のうち代表的なものを挙げてみます。

①圧倒的な低価格とハードスペック

それまでのゲーム機が5万円以上したのに対し、ファミコンは14,800円で発売。

いっきに子供でも(親にねだって)手が届くおもちゃになりました。

スペックの詳しいことは分かりませんが、鮮やかな色調のグラフィックと、3音とはいえ多くの表現を可能とする音色は、他ハードの追随を許さないものだったのだと思います。

②良質で豊富なソフト

ハードの普及を左右するのはソフトであることに当時から気づいていた任天堂は、自社開発に力を入れるのと同時に、サードパーティーと呼ばれるソフトメーカーも厳格に管理することで、ソフトの質の維持・向上に努めました。

これにより、スーパーマリオゼビウスドルアーガの塔ドラクエ、FFなどの名作と呼ばれるソフトが豊富に供給されます。

「やってないと話についていけない」空気が醸成され、ハードの普及を後押ししました。

③ネーミング

「コンピューター」という次世代感に「ファミリー」をつけて皆で遊べる家族感を出す。

絶妙のネーミングですね!

買うのは親ですから、家族団欒にも使えると思わせて親を味方につけたことは大きい。

またここでも、ベースボールや麻雀、ゴルフなど、お父さんにもやりたいと思わせるソフトラインナップを揃えたことが購買意欲を高めたことは間違いありません。


ファミコンブームがひと段落した頃に任天堂が追加投入したのが、ディスクシステムです。

ディスクシステムファミコンの拡張機器として発売され、データ容量の拡大、グラフィックや音声技術の向上等が図られたハードでした。

キラーソフトとして同時発売されたのがあのゼルダの伝説で、ゼルダはローンチソフトとしてディスクシステム史上第3位の販売本数を記録しました(1位はスーパーマリオ2、2位はバレーボール)。

またディスクシステムの画期的要素として、ソフトの書き換えが挙げられます。

これは遊び終わったディスクをお店に持って行くと、500円で新しいソフトに書き換えてくれるというサービス。

ファミコンのカセットが5,000円くらいしていた中、10分の1の価格で新作ソフトが手に入るというのは、当時の小学生には胸躍るものでした。

お店に置いてあるディスクライターという書き換え用の機械も憧れだったなあ。


ファミコンが十分に成熟した1989年に、またまた任天堂から投入されたのがゲームボーイです。

これは液晶ディスプレイを備えた携帯型ゲーム機で、それまでの家庭用ゲーム機とはまったく異なる基軸を打ち出しました。

最も画期的だったのは通信ケーブルで、2台のゲームボーイと1本の通信ケーブルがあれば、どこでも対戦やデータ交換ができるというもの。

この仕組みを最大限に活用してヒットしたのが、テトリスポケットモンスターです。

公園で小学生がゲームを持ち寄り遊ぶという光景が見られるようになったのも、このゲームボーイからですね。


ということで、やはりあまりにも長くなったので、今回は80年代編ということにしてここまでにしたいと思います。

見て分かる通り、80年代は任天堂の独り勝ちでした。

もちろんその裏では、セガマークⅡ、PCエンジンメガドライブなどが各社から投入され、それぞれは目を引く憧れのものでした。

しかし任天堂は、単純にハードの性能を上げることで競争するのではなく、まずまったく新しい遊び方のカタチを提示して、それに合わせて最高のハードとソフトを投入することで他社との差異化を図り続けました。

これにより既存の市場から新しい市場にユーザーをごっそり乗り換えさせることに成功しており、その点が80年代の任天堂の凄みなのだと思います。


何か最後は事業戦略分析のようになってしまいましたがw、また気が向いたら第2回もやろうと思います。